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<title>キムラのコラム </title>
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<title>コラム♯572　　　「　　日食観測グラス　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
太陽の動きや役割について最初に学んだのは、たしか小学校の理科の授業だったと思う。教師の指導に従い黒い下敷きを利用して太陽を見たのを覚えている。まぶしさを感じることなく太陽が見られ、子供心に感動したものだ。

だが、そのようにして太陽を観測するのは実に危険なことだったらしい。
5月21日の金環日食を前にラジオもテレビも盛り上がっているが、必ず添えられるのが「日食観測のときは専用グラスを準備するように」というアドバイスである。昔のように黒い下敷きを通しただけでは目に見える光量は軽減できても熱作用の大きな赤外線をカットすることはできないらしい。下手をすると網膜を傷つけてしまう恐れがあるそうだ。そうならないように専用の観測グラスは赤外線を反射する金属の薄膜を表面に取り付けているということなのだが、そんなことは今の今まで僕は知らなかった。
過酷なうさぎ跳びや運動部の練習中の水分摂取禁止など体に悪いことを良いことだと勘違いして昔は取り組んでいたものだが、まさか授業中にそれほど危険と隣り合わせのことをしていたとは・・・義務教育で身につけるような基本的な事柄でも、数十年前は知識不足がかなりあったのだろう。

それにしても「赤外線」や「網膜」といった言葉を出して科学的、医学的に諭されると、下敷きなどで太陽を見てしまったことを今更ながら後悔し、なんだか眼球がちりちりしてくる。病は気からというが、観測グラスなどとは無縁だった僕ぐらいの世代の中には急に不調を訴えて眼科を受診する人がいるのではないだろうか。

ところで空を見上げるのは、何もこのような天体ショーのときだけではない。高層建築物を見上げたときにうっかり太陽を直視してしまったという経験のある人は多いだろう。たとえ一瞬であっても目にはかなりのダメージになるはずだ。
数日後に開業する東京スカイツリーなどは大丈夫なのだろうか。
以前、スカイツリーの建設中に付近を通りかかったら寝転がってツリーを見上げている人がいた。今やツリーは完成して634mの高さで空にそびえたっている。ツリーの先端と空を視界に入れようとして横たわれば網膜をやられる危険性はかなり高い。

ちなみに今出回っている日食観測グラスでスカイツリーと金環日食を同時に見られるかを専門家に尋ねたところ、返ってきたのは「赤外線を遮断する専用グラスはサングラスとは違い、建築物などは見えなくなる」という答えだった。
しかし、科学の進歩は著しい。やがてスカイツリーと太陽を直射できるメガネが開発される可能性はある。
そのうち「網膜保護のため、専用グラスをかけない方のスカイツリー展望台への日中の入場はお断りします」などという指示が出るかもしれない。
スカイツリーの中にいる人たちがモグラの集団のようになる日は近い。



※　　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　　次回更新は5月24日の予定



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<category>コラム</category>
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<modified>2012-05-17T20:42:03+09:00</modified>
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<title>コラム♯571　　「　　鶴竜弁当　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
今から20年近く前、あるコンビニチェーンとタイアップして番組のオリジナル弁当を発売したことがあった。当時の僕の番組のリスナーの中心は高校生や大学生で、そんな人たちから弁当に入れたいメニューを募集して、商品化したのだ。
大手チェーンとタイアップするやり方は今もあるが、話を聞く限り売り出すまでは入念に消費者動向をリサーチし、何度も会議を開いて検討するらしい。せっかく作るのだから儲けはしっかり確保しなければ、ということなのだろう。

そんな今の時代に比べると、1990年代前半はいたっておおらかで、話題性があればそれで十分という感じだった。
たしか中身はから揚げ、とんかつ、シゥマイ、卵焼き、ミニたい焼きなどだったと思う。要するに若者の好物が勢ぞろいしただけで栄養バランス的には何も考えられていなかったのだ。それだけに簡単にＧＯサインが出たときには本当に驚いたし「売れなかったらどうしよう」などと不安にもなった。
だが、こちらの心配をよそにこの弁当は思いのほか売れた。今でも当時のスタッフが集まると話のネタになる。そしていつも「あんな無茶苦茶な弁当はもう出ないだろう」というところに落ち着くのだ。

さて、どうしてそんな古い話を持ち出したかというと、大相撲夏場所が開かれている両国国技館で鶴竜弁当が新発売され人気になっているという話題をスポーツ紙で知ったからだ。国技館では大関以上を対象に力士弁当というものを何種類か発売しているらしく、中でもこのほど新大関に昇進した鶴竜の弁当は売り切れ続出なのだという。
夏場所はまだ序盤で、弁当の売れ行きは今後の星取りによって変わっていくのかもしれないが、観客がそれほどに手を伸ばす鶴竜弁当なるものの中身が何なのか気になって調べてみた。すると鶏のから揚げ、大ぶりのとんかつ、サイコロステーキ、ソーセージ・・とすごいボリュームなのだ。
いまどきこんなに肉で固めた弁当があるのかと仰天してしまった。どうやらこの弁当は鶴竜本人が「肉料理を中心にしてほしい」とリクエストして実現したらしいのだが、好きなものを詰めまくったところは僕がかつてリスナーの要望通りに出した弁当と同じである。異常にカロリーの高そうな弁当に懐かしさを感じてしまった。

それにしても大関以上が弁当を出せるといっても、今場所は１横綱６大関である。弁当の売り上げ合戦も熾烈を極めていることだろう。それでも巨漢力士のぶつかり合いを生で見ていたら、ハイカロリーな食事をとりたくなるのではないかと思う。鶴竜弁当が横綱や先輩大関の弁当をうっちゃる可能性は十分にあるとみた。



※　　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　　次回更新は5月17日の予定
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<category>コラム</category>
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<modified>2012-05-10T22:49:55+09:00</modified>
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<title>コラム♯570　　　「　　みどりの色合い　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
エフエム石川のロビーにある観葉植物の水やりを担当するようになり半年ほどがたった。以前はアルバイトの女性がこまめに面倒をみていたのだが、理由あってエフエム石川を去り、その役目が僕に回ってきたのだ。
動物や昆虫の世話をしたことはあるが、植物相手はほとんど初めてで慣れないうちは勝手がつかめなかった。要は水をやりさえすればいいのだが、それだけのことを忘れてしまう。「あっ」と思った時には葉が辛子色になりかけたり枝が垂れ下がったりした。とにかく水やりが習慣になるまでは危ない場面も何度かあったのだ。

さすがに最近はそんなこともなくなったが、そうなると植物の貪欲な成長ぶりに今度は驚かされることが多くなった。季節が良くなったこともあるのだろうが、光の方向に枝がぐんぐん伸びていくし、若葉の量も目に見えて増えていく。日差しを受ける若葉は本当に鮮やかな緑をしている。触れると弾力性があってやわらかく、たくましい生命力を感じずにはいられない。それに比べると、古い葉は緑が濃厚だが、光を跳ね返すような輝きはない。触感もどこかごわごわしている。1本の木でこんなにも葉っぱの様子が異なることを今まで知らなかった。

さて先日、僕はリポーターとして久しぶりに街に出た。生ワイドのリポーターを最後にやってから少なくとも10年はたっているだろう。使用する機材も変わっていて最初は戸惑ったが、番組に情報を届けるという根本的な部分は昔と同じである。すぐに感覚を取り戻し「現場に出るのも悪くないな」という気持ちになった。
振り返れば僕は1994年と1995年、毎日外に飛び出して街頭取材をするという仕事をしていた。それこそ足の向くまま気の向くままという感じだったが、2年もやったのだからマイクを向けた人の数は膨大だ。そんな僕に取材を受けたという人たちの何人かが今回、僕のリポートを耳にして番組宛にメッセージを送ってきたらしい。いまだに覚えていていただいていることをうれしく感じた。

ところで今回のリポートで僕はある高校の吹奏楽部の練習風景を伝えた。大半が女子生徒の吹奏楽部で、そんな中で部長と演出担当の3年生に話を聞いたのだが、途中でその二人が生まれたのがちょうど僕が一生懸命街頭取材をしていた頃なのだということに気付いた。普段年齢を意識せずに暮らしているせいか、突然こうしたことが判明するとまごついてしまう。不意に目の前にいる二人の高校生が観葉植物の若葉のまぶしさと重なった。

葉の話に戻るが、植物に詳しい人から若葉が増えてきたら古い葉を少し間引いた方が良いとアドバイスを受けている。葉っぱが込み入ってくると内部まで光が届かなくなり、丈夫に育たないのだという。そんなものなのかと思ったが、枯れ落ちたわけでもないのに古いだけで排除されてしまうのが不憫にも感じた。それによく見るとごわごわした古い葉には見事な葉脈が育ちがっしりとしたたくましさがある。
リポートから帰ってからというもの、剪定をせずに新旧の葉をなんとか青々と茂らすことができないものかと考えている。



※　　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　　次回更新は5月10日の予定
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<category>コラム</category>
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<modified>2012-05-03T23:28:32+09:00</modified>
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<title>コラム♯569　　　「　昭和くささと星 飛雄馬　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
昭和の日が近いが、最近はあの激動の時代に郷愁よりも古臭さや時代遅れの印象を持つ人が少なくないという。そういえば何年か前の選抜高校野球で、ある選手が対戦相手のチームのことをブログで「顔が昭和くさい」などと書いて問題になったことがあった。平成の時代に替わってすでに20年以上が経過し、昭和が前時代的なのは仕方がないと思うが、だからといって馬鹿にされたり見下されたりするいわれはない。古いものには古いなりにいつまでもあせない輝きがあるはずだ。

初めて見たときからどうにもやるせないのがある携帯電話会社が展開している「巨人の星」の主人公、星飛雄馬を使ったスマートフォンのＣＭである。脇目も振らず野球一筋に生きてきた飛雄馬にスマートフォンを持たせるという発想は現代人から見れば、原始人に靴を履かせるようなおかしさがあるのかもしれない。スポ根モノならではの大げさな抑揚や号泣シーンは「昭和くささ」としてスマートフォンの対極にあるのだろう。

だが、子供の頃「巨人の星」の世界観にはまった身には文明の利器に翻弄されてゆく飛雄馬が不憫でならない。そもそも星飛雄馬が考案した消える魔球をはじめとする大リーグボールは不遇、不便、不条理がそろった中で生まれたものだった。そんな試練の道をあえて進んでいった彼がスマートフォンを持ったのでは「巨人の星」の世界観ががらがらと音を立てて崩れていってしまう。どうせＣＭにするなら、最後はスマートフォンを捨ててマウンドに向かうとか原作のイメージを大切にしてもらいたかったと思う。(携帯会社のＣＭではありえない話だが・・・)

とはいえこちらの願いとは反対にＣＭはシリーズ展開され、ついに飛雄馬の父親である星一徹までが登場するようになってしまった。一徹は飛雄馬以上に頑固な人物だから、起用はある意味必然の流れだったのかもしれないが、こうなると大リーグボール養成ギブスをつけた飛雄馬にスマートフォンをさわらせたりするのではないかと不安が募る。
いや、個性的なキャラクターが多いだけに花形満や左門豊作などが出てこないとも限らない。今はオールキャストにならないことを祈るばかりである。

とにかく今でこそスポ根アニメやドラマはギャグのネタにされてしまうが、かつてはその忍耐こそが賞賛されそこから昭和の人たちはかけがえのないメッセージを受け取った。多くの主人公たちに倣い黙って努力をする人も少なくなかった。
いくら時代が改まり価値観が変わったとはいえ、そんな姿勢や生き方にまで踏み込んで茶化すのは侮辱に近いのではないかと思う。
それにしてもなぜ平成を生きる人たちの中に昭和を否定的に捉える人がいるのだろう。昭和人間は明治生まれや大正生まれの人たちにもっと敬意を払っていたような気がするのだが・・・



※　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　次回更新は5月3日の予定



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<category>コラム</category>
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<modified>2012-04-26T17:56:15+09:00</modified>
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<title>コラム♯568　　「　　開花宣言の興奮　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
「今年の桜は長持ちして良いと皆、喜んでいますよ」
なじみのタクシーの運転手さんが満足そうに言った。金沢で桜が開花してこのかた強い風や花散らしの雨も降らず、例年になく花の見頃が続いている。春寒がかえって花には好都合なのかもしれない。なかなか春本番にならないのが意外なところで幸いするものだ。

いつもなら加賀路から能登路へと進んでいく桜前線も今年は金沢と輪島で時期が重なる可能性がある。実際、輪島の桜はいよいよこれから満開を迎えるという。
ただ、残念なのは数年前に輪島測候所が無人になり、彼の地での桜の開花宣言がなくなってしまったことだ。
つつましくひっそりとつぼみをほころばせるのも絵になるが、桜にはやはり華やかさをまとって欲しい。開花宣言を合図に盛大に花を愛でたいではないか。
輪島のように開花宣言が消えてしまった地域は他にも多い。景気が停滞し閉塞感ばかりが募る中、桜便りまで少なくなるのでは気持ちが盛り上がってこない。

そういえば先日、北海道の話を聞いた。
桜は春先、日本で一番早く咲くのはどこかが話題になるが、北の大地ではそれとは反対に桜前線のゴールがどこになるのかが関心の的なのだそうだ。考えてみれば物事はゴールが肝心である。日本最後の開花宣言は有終の美の栄誉を地域にもたらすのかもしれない。
そんな桜前線のフィニッシュを争うのはたいてい稚内や釧路などだったのだが、これらの地域の測候所も近年、無人化や廃止となった。
別に開花宣言が出ようが出まいが、桜は花を咲かせるわけだが、公式発表がなければ、桜前線のゴール前のデッドヒートは熱を帯びないだろう。地元の人たちは張り合いをなくしているのではなかろうか。

ちなみに日本最後の桜の開花時期は5月20日前後だそうだ。なんとまだ１か月くらいある。

ところで数日前、東北の知人から手紙が届いた。そこには「当地は桜の開花が遅れる予想になっていて、金沢の開花宣言を羨ましく思いつつも楽しみにしているところです」と綴られていた。
桜を心待ちにしている人はまだ大勢いる。そんな興奮を日一日と高めていくためにも開花宣言はできるだけきめ細かく出されればいいのにと思うのだが、時代の流れでそれは無理な注文なのか。



※　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　次回更新は４月26日の予定

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<category>コラム</category>
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<modified>2012-04-19T23:40:58+09:00</modified>
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<title>コラム♯567　　　　「　　若者との距離　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
インタビューをするときに、どのような立ち位置で話をきくかは迷うところだ。
しっかり敬語を用いるべきか、タメ口とはいかないまでもある程度くだけた口調の方が良いのか、相手の言葉だけを抽出して放送するのならどちらでもいいだろうが、僕の番組はこちらの質問もやりとりとして電波にのせるようにしている。どのポジションから切り込んでいくかでインタビューの印象はがらりと変わってしまうのだ。

以前はこうしたことで頭を悩ませることはあまりなかった。僕自身が若く、マイクを向ける対象のほとんどが年上だったからだ。丁寧語でかっちりとやればまったく違和感はなかった。
ところが40も後半にかかってくると、相手が一回り下どころか二回り以上も離れているケースがざらにある。その場合、あまりかしこまっていたのではラジオを聴いている人にどこか血の通っていない無機質なインタビュアーだと思われかねない。かといってあまり上から目線になると不遜な態度が鼻につくと言われてしまう。インタビューの好感度を上げるため、お互いの距離をどうとるかはけっこう難しい問題なのだ。

別に第三者に披露するわけではないが、新年度を迎えて企業の管理職などが新入社員と接するときにも同様のことが言えるのではないかと思う。
先日、街のコーヒーショップにまだスーツが板についていない新社会人が数人くつろいでいた。上司とおぼしき小太りの中年男性がいっしょである。それとなく聞き耳を立てると、その上司らしき男性の新社会人に対する言葉遣いがぶれまくっている。
「疲れただろう、でもワシなんか20年もこれをやっとるんや」などとダミ声で先輩風を吹かせたかと思うと、ときどき「ほー、そうですか」と得意先とでも話しているような丁寧な口調に変わる。そしてそんな常体と敬体がまぜこぜになった話をひとしきり繰り広げた後、彼が立ち上がりざま口にしたセリフがすごかった。
「さっ、元気出していかないとやばいぜ！」
まるでチープな青春ドラマのようだが、引き揚げていく男性の顔は意気揚々としていた。

たぶんあの男性は年の離れた若者にどのような言葉で接したらいいのか戸惑っていたのだと思う。昔なら酒の席にでも強引に連れて行って武勇伝でもひとくさりすれば、一発で組織になじんでくれたところだ。けれども今の情報社会の申し子たちはプライベート優先で厳格な上下関係など経験したことがない。もしかするとトップからは「きつい言葉でしからないでくれ」などとお願いされているかもしれない。改まったりくだけたり会話がどっちつかずになるのも当然といえば当然か。

話は変わるが、ラジオの番組でこの間「女性が年下の男性と付き合うときの心得」というのを紹介していた。ポイントはいくつもあったのだが、印象に残ったのは年齢差をいちいち持ち出さないということと無理に若者っぽい言葉を使わないということの2点だった。前者が言いたいのは身構えるなということだろうし、後者は無理をするなということだろう。
これは現代の世代間コミュニケーション全般に通じる極意のような気がするし、女性はそのあたりのことをわきまえているようにも感じる。案外、今の時代は女性管理職の方がスマートに新入社員を指導しているのかもしれない。



※　　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　　次回更新は4月19日の予定


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<category>コラム</category>
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<modified>2012-04-12T22:46:16+09:00</modified>
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<title>コラム♯566　　　　「　　新タイトル　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
普段仕事をしている局内の部屋にホコリをかぶった古い木箱がある。中身はゴム印だ。まだオープンリールテープを使って番組を作っていた頃はレギュラー番組のタイトルはすべてゴム印になっていた。ケースへの手書きは煩わしいので、こうしたゴム印がとても重宝したのだ
しかし時代が流れ、番組はすべてデータのやりとりに変わった。もはやテープを使うことはなくなりゴム印を入れた箱も封印状態になっているのだが、僕はたまにこれを開けてみることにしている。ぎっしり詰まったゴム印は間違いなくエフエム石川の歴史で、そこから当時の人間模様などが甦ってきてたいへん感慨深いのだ。
たとえば「ペパーミントモーニング」や「ピュアコレクション」などは1990年代にたくさんの生活情報や音楽の話題を提供した番組として一時代を築いたし、「ボサノバカサノバのFEEL SO GOOD」や「服部祐民子 セルフポートレート」などは熱いファンに支持され毎週山のようにハガキが届いた。そんな思い出を詰め込んだ番組タイトルは古い木箱の中に仕舞われたままでも十分輝いているように見える。

新しい番組を立ち上げるとき、タイトルは一番頭を悩ませる問題だ。
いくつも案を持ち寄っても、これといったアイデアが出ないことが多い。いったん落ち着いたタイトルが上の判断で差し戻されてしまったという例もある。そんなときたいていのスタッフはこんなことを思う。
「昔の番組のタイトルには良いものが多かったなあ」
それはあのゴム印の木箱を開けたときのような感覚に近い。
けれども本当に往時の番組タイトルは秀逸だったのだろうか。たしかに中には最初から「これしかない」と誰もが太鼓判を押したものもあったろう。でもそんなケースはごくまれだ。

東京スカイツリーというネーミングが発表になったとき、僕は番組でしっくりこない名前だと話した。当コラムも第396回で東京タワーに向けて「スカイツリーという変な名前の塔に負けず、いつまでも堂々と聳え立っていて欲しいと思う」とエールを送っている。けっこう共感してくれる人は多かった。
だが、そうやって始まったスカイツリーというネーミングに今、違和感を持つ人はほとんどいない。ニュースなどで報道されるうちにすっかり刷り込まれてしまったのだ。
けっきょく名前の浸透というのはそうした刷り込みにほかならない。何度も何度も耳にしていればその価値観まで変わってしまうのだ。

さて、4月を迎えてエフエム石川の番組にも新顔が増えた。新しいコーナーも登場している。
タイトルはいずれも年度末にスタッフ会議を重ねて出たもので、送り出す側もまだ収まりの悪さを感じているようだが、それは気にすることではない。
重要なのは生み出した番組やコーナーをどんどん発信することなのだ。自信を持って続けていけばタイトルはきっと一人歩きを始める。
そうなればしめたもので、それは木箱の中のゴム印のように人々の記憶の中にいつまでも色あせないで残るはずだ。それを目指して、今年度も僕らは新しいスタートを切った。


※　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　次回更新は4月12日の予定

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<modified>2012-04-05T21:38:29+09:00</modified>
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<title>コラム♯565　　　「　　天気予報の話題　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
「3月はライオンのようにやってきて子羊のように去っていく」という英語のことわざがあるそうだ。ライオンが示すのは低気圧による嵐、子羊が意味するのは移動性高気圧による穏やかな陽気のことらしい。欧米は一般に四季の移ろいに乏しいと思われがちだが、冬から春への変化をそれなりに彼の地の人も感じ取っているのかもしれない。
ちなみにこのことわざはラジオの天気予報で仕入れたものだ。耳にした瞬間に手帳にメモをとった。こうした豆知識をさりげなく披露してくれるからラジオの天気予報は楽しい。昔はテレビもそうだったような気もするが、今のテレビは外に出たお天気キャスターが中継先の名産品を試食したり名所旧跡を紹介したりで天気予報なのか旅番組なのかよくわからなくなってしまった。

その点、ラジオは画像がない分、季語やデータを巧みに織り交ぜて空模様を伝えようとする。結果として、ありふれた観光情報などを見せられるテレビよりもラジオの方がちょっと得をした気分になるというわけだ。
ただ、放送している側から言わせてもらうと、限られた時間の中で情報と季節のトピックを組み合わせるのはちょっと難しい。とりわけ冬の間の日本海側は警報や注意報が次から次へと発表されるため、それらをひとつひとつアナウンスするだけで予定の時間を軽くオーバーしてしまう。余裕がなくてなかなか気象一口メモとはいかないのだが、そんな山のようにあった注意報も春が近づいて少なくなってきた。会話の円滑材になるようなネタを僕もそろそろ仕込んでいきたいと思う。

そもそも日本の春は絵巻物のように優雅に移り行く。冬の佇まいから春の予兆を感じるまで、日本語には「春寒」や「春疾風(はるはやて)」、「木の芽」など季節の言葉が様々に用意されていることからもわかる。ライオンと子羊を引き合いに出す英語の表現も面白いが、趣の度合いはやはり日本の方が上であろう。そんな日本の風情をさりげなく紹介できるようになりたい。

さて、ここ数日、金沢も気温が上がり、近くの山々がかすんで見えるようになってきた。かすみは春によく見られる現象だが、実体は空気中に舞い上がったちりや水滴などである。早春は植物が十分に根を張っていないこともあって他の季節よりもかすみがかかりやすいのだ。
僕は前々から濃霧注意報があるのだから、かすみ注意報が出てもおかしくないのではと考えていた。そのうち調べてオンエアに使おうと思っていたら、先日あるラジオで「霧は視界1キロ未満という定義があるのですが、かすみにはありません。だからかすみは注意報の対象ではないのです」と解説していた。
そうだったのかと膝を打ったが、先を越されてしまったとも感じた。季節のネタは旬のものだけにけっこう取り合いとなる。早い者勝ちの世界なのだ。


※　　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　　次回更新は4月5日の予定


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<modified>2012-03-29T16:15:46+09:00</modified>
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<title>コラム♯564　　　　　「　　　卒業　　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
年度替りを前にして新聞のラテ欄にちらほらと最終回を示す(終)のマークを見かけるようになった。最終回を迎える番組には予定されていた放送期間をめでたくまっとうした完走型もあれば、反応が思ったほど良くなくやむなく打ち切りとなるリタイア型もありそのパターンは様々である。放送の世界に働く者としては、そうした制作現場の実情がわかるだけに複雑な心境だ。

ところで番組の中には最終回にはならなくても、タイトルはそのままで出演者だけを替える場合もある。これも舞台裏では悲喜こもごもあるのだろうが、ラジオ、テレビとも生ワイドなどで降板していく出演者には花束を贈って労をねぎらうのが一般的だ。番組を去る理由がどうであれ、やさしく送り出そうとするのは制作現場ならではの気遣いだろう。悪いものではない。

ただ、そのような場面で僕は気になる言い回しがある。「番組を卒業する」という表現だ。近年「卒業」が送別全体に使用される傾向があるようだが、僕はこれに違和感を持っている。そもそも「卒業」とは一定の段階の科目や課題などをマスターし、上へと進むことだ。したがって学校だけでなく、何かの基礎クラスや専門コースなどを修めても「卒業」といえる。
けれども番組の出演者が安易に「卒業」と口にするのはどうなのだろう。番組に出ているのはアナウンサーにしてもパーソナリティにしてもタレントにしてもそれによって報酬を得ているプロフェッショナルなのだ。何かを学んでいる人たちとは違う。たとえ1年目の新人であろうとしっかりやってくれなければ困る。リスナーや視聴者の立場からはそう強く望みたい。

とはいえ仕事をこなしていく中で、「勉強になった」とか「いい経験をさせてもらった」と感じることはある。僕自身にもそんなことは数え切れないほどあった。が、それはあくまでも身内だけで交わしていればいい話だ。まして公の電波を使って「卒業します」と言ったのでは「私は素人同然だったのです」と打ち明けているのと何ら変わりない。第一線に立つ者はいつもプロの自覚を持っていなければならないだろう。

他の業種に目を移せばスポーツの世界での最後は実に潔い。出場を終えた選手に花束の贈呈や感謝のメッセージなどが送られるのは放送現場と同じだが、そこで「今日をもって卒業します」などと宣言する選手はいない。皆、大きな覚悟を決めて現役を退いていくからしっかりとした決別の辞がそこにある。
去り行く者が学校でもないのに恥も外聞もなく「卒業」という言葉を使うのは放送業界くらいだろう。いくら楽屋落ちがネタとしてまかり通る世界とはいえ、ラストくらいはプロの矜持をみせて幕引きをしてほしいと思う。



※　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　次回更新は3月29日の予定



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<modified>2012-03-22T16:10:20+09:00</modified>
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<title>コラム♯563　　　　「　スタジオ前に集まる人たち　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
実は開局以来、「この言い方は本当に正しいのかな」と思いながら遣い続けている言葉がある。それが「オープンスタジオ」だ。ガラス張りのスタジオを「開放」とか「公開」の意味で「オープンスタジオ」と呼ぶのは一理あると思うが、ハローファイブの生放送スタジオは大通りに面しているだけでとくに観覧施設などがついているわけではない。そこがどうにもひっかかるのだ。「オープンスタジオ」と名乗るからには、テーブルや椅子を置いたギャラリーくらいあってもいいのではないかと思う。

さて、そんなオープンスタジオ前に集まってくる人たちというと、今でこそお目当てのゲストの出演時間が終わると一人残らず帰ってしまうのが常だが、昔はそうではなかった。ゲストが去った後もスタジオのガラスにへばりつくようにしてラジオの放送風景を愉しむ人たちが何人もいたのだ。
いつまでもたまっているからといって、別に当時のパーソナリティが今と比べて魅力的だったわけではない。大きかったのはやはりあの頃のラジオ番組が持っていた現場の雰囲気だろう。たとえば夕方の番組は電話リクエストが柱だった。そこには電リクギャルという電話をとるアルバイトの女性がいて、彼女たちはリクエストだけでなくリスナーの話し相手にもなった。聞くところによると恋愛相談などに乗ることもあったらしい。
本番中はそんな電リクギャルがメッセージや探し出したＣＤを持ってスタジオにちょこちょこ顔を出し、また慌しく持ち場へと戻っていく。おそらくスタジオの前に居残った人たちはそんな躍動するスタジオの中の様子を興味深く眺めていたのだと思う。

だが、時は流れてメッセージの主流はメールに変わった。電リクギャルがいた時代は過去の話となり、それどころか番組はどんどん省力化しもはやスタジオはマンツーマンの世界だ。放送現場は昔に比べるとひっそりとし親近感も薄くなったように思う。

僕は最近、スタジオ前で足を止めてくれる人を番組に引っ張りこんでいる。ついこの間も自転車でやってきた小学生を「寒いだろう、暖まっていけば・・」といって招き入れた。別に番組に出てもらおうという腹積もりだったわけではない。単純にスタジオに人が増えてにぎやかになってくれればいいなと考えたのだ。

今つくづくハローファイブのオープンスタジオにギャラリーが併設されていればいいのにと感じる。ラジオの放送現場にもっとたくさんの人たちを呼び込み、関心を寄せてもらいたい。そのために不可欠なのは腰を落ち着けて愉しめる施設だ。
大物アーティスト見たさに山のような人だかりができるのはうれしいものだ。進行する側のモチベーションも上がる。けれども締めの挨拶とともにスタジオ前が祭りの後のような寂しさになってしまうのではあまりにせつない。生放送のスタジオにいつも人がすずなりになっているような工夫を今のラジオは考えなければならない。リスナーの輪を広げるのはそんな現場の熱気だと僕は信じている。



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　　次回更新は3月22日の予定
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<modified>2012-03-15T22:28:03+09:00</modified>
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<title>コラム♯562　　　　「　　あの日から1年　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
普段は比較的空きのある仙台方面への飛行機や高速バスがこの後しばらくは混み合っている。鎮魂の思いを胸に北へ向かう人が多いのかもしれない。

東日本大震災から1年である。
東北がぐらぐらと激しく揺さぶられたあの日は金曜日だった。僕は自分の番組の中で、次々と入ってくる震災関連の情報を叫ぶように繰り返していた。そしてそんな息つく暇さえない混乱の中で考えたのは「彼の地に今後我々と同じような時間が流れるのだろうか」ということだった。地獄のような光景が時間までも止めてしまったように見えたからだ。

だが、こうして1年後はやってきた。
東北から遠く離れた北陸にずっといたのでは、彼の地にどのような時間が流れていたのかは新聞やテレビの報道から想像を働かせるしかない。ただし重要なのはマスコミが伝える情報がすべてではないということだ。なぜならメディアが伝えているのは取材に応じてくれた人たちの声ばかりだからだ。電波や活字にならなかった思いや出来事は山のようにあるにちがいない。

先日、エフエム石川が開いた「防災シンポジウム」では、そんな表には出てこなかった悲しい人間模様や残念なトラブル、心の闇なども明らかにされた。あたりまえだが、震災後の時間は絆の一言で片付くような美談ばかりではないのだ。
今回パネルディスカッションのパネリストとして迎えた元エフエム石川のパーソナリティ、庄子久子さんは「津波にのまれてしまった建物や家財には人々の思い出が詰まっている。たとえ破壊され形をとどめなくなっていたとしても、私はそれらをがれきと形容したくはない」と話してくれた。何気なく口にした言葉がストレスに結びついてしまうことが現地ではほかにももっとあるのかもしれない。庄子さんの表現の配慮に「さすが言葉のプロだな」と感心する一方で、重々しい現実をあらためて突きつけられたような気もした。

やはり1年という流れた時間の量は等しくても、東北と北陸ではその質感は決定的に違うのだ。今も明るい話ばかりがあるわけではない。ときに心を暗鬱にさせるような話題にも我々はひとつひとつ真摯に向き合っていかなくてはいけないだろう。
防災シンポジウムの後、来場者の一人が僕に「悲惨すぎて東日本大震災のニュースが流れてくると、これまではラジオやテレビのスイッチを切っていました。でもこれからは目をそむけないようにしたいです」と語ってくれた。ありがたい感想だった。

メディアも今何が起きているのか、どんな状態なのかをつぶさに伝えていかなければいけない。すべての人たちが東北をしっかり見据えていけば、僕らと同じ穏やかな時間が彼の地に戻る日もそう遠くないはずだから・・・



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<title>コラム♯561　　　　「　　　啓蟄　　　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[

気がつくと金沢市の繁華街を夜間彩っていたイルミネーションがすっかり取り外されていた。ライトアップの期間は予め決まっているから、単にスケジュールどおり終了しただけなのだろうが、それでも点灯式まで開催してスタートを祝うのに比べると終わりはあまりにもひっそりしすぎではないか。せめて「今夜でライトアップは終わりですよ」などと知らせてくれれば、ウインターシーズンの名残とばかりにその輝きを目に焼き付けるところなのに・・・　物事の起点と終点はともにはっきりさせるべきだと思う。

３月6日は啓蟄だ。冬ごもりしていた虫たちが目覚めて地中から這い出てくるとされる日だが、ほかの二十四節気の日に比べて異彩を放っていると感じるのは僕だけだろうか。大暑や大寒などのように暑さ、寒さを根拠にしたものではないし、雨水や霜降、大雪などのように気象的な現象を参考にしたものでもない。啓蟄だけは生き物が対象なのである。
どうしてここだけ虫にスポットが当たっているのか、日めくりカレンダーに啓蟄の二文字を見つけると僕はいつも不思議に感じてしまう。
考えられるのは越冬から目覚めた虫たちがみせる生命力だ。厳しい季節を葉陰や石の下で身を寄せ合うようにして乗り越えてきた健気な命が再び躍動する姿に昔の人は拍手喝采し、春の到来に心弾ませたのではないだろうか。

だが、そうなるともうひとつ疑問が出てくる。二十四節気には啓蟄と対になるような日、つまり虫たちが冬ごもりを開始するとされる日がないのである。小さな生き物にあれだけ細やかな眼差しを向けていながら、どうしてこのように差が出てしまうのだろうか。これでは始まりばかりがもてはやされる街中のライトアップと変わらない。啓蟄には対義語があった方が絶対に良いと思う。

こんなことを言うのは、今新しい二十四節気が提案されようとしているからだ。もともと二十四節気は季節を捉えようと古代中国で編み出されたもので、日本の気候風土とのずれがしばしば指摘されてきた。それを改善するため今回、日本版の二十四節気を作り出して普及させようということになったわけだ。作業は日本気象協会が中心になって行っていると聞いたが、今後公募などによって一般の意見を募る予定もあるらしい。
ならば単刀直入に「冬眠」などというのはどうか。
ニュースで「虫や動物が冬ごもりに入るとされる冬眠のきょう」などという出だしで季節の風物詩的な地域の話題が続けば、冬とはいえどこか温かみが出る。啓蟄とセットで日本版二十四節気にエントリーすればいい。

ただ、気になるのはこのご時勢、あまりに冬眠、冬眠と連呼すると、人間サマの方も巣ごもりを始めてしまう可能性があるということだ。ただでさえ昨今、食事や娯楽を家庭内で完結させてしまう「巣ごもり生活」が顕著になっている。
巣ごもりを連想させる「冬眠」の採用に「ちょっと待った！」と言い出す業界が出てくるかもしれない。



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<modified>2012-03-01T17:44:09+09:00</modified>
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<title>コラム♯560　　　「　製造されなかったコインたち　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
番組直後にちょっと面白いニュースが飛び込んでくるとタッチの差で紹介できなかったことが悔しくてたまらない。つい先日もそんなことがあった。
さんざんメディアで報道され手垢がついてしまった感じだが、1円玉と5円玉、それに50円玉は昨年製造されなかったのだという。5円玉と50円玉は一昨年も作られていなかったらしいが、1円玉に至ってはなんと43年ぶりの製造ナシとのこと。背景には電子マネーによる決済が広がり小額硬貨の需要が減っているという事情があるらしいのだが、その昔消費税などなかった頃は1円玉が財布の中に入っていることさえ少なかった。それに比べればいくら電子マネー決済が増えたとはいえ、何か買い物をすれば必ずといっていいほどお釣りに1円玉が返ってくるわけで、製造しなくても問題ないというのは素人から見ると解せない話だ。

不思議に感じたことはもうひとつある。
実は一般に流通する1円玉、5円玉、50円玉は作られなかったが、コレクターを対象にした貨幣セット用にそれぞれ45万6千枚製造されているのだ。インターネットで調べるとその年発行される硬貨をまとめてケースに納めたミントセットという商品を造幣局で販売しているとのこと。そして昨年分はすでに売り切れたそうだ。今どきミントセットが完売するほどコインコレクターがいるということが少し信じられなかった。

かつて切手ブームがあったことはよく知られているが、コインを収集するのが流行した時代もあった。何を隠そう僕の父親が集めていたのである。
その頃我が家にはコインを収納できるバインダータイプのアルバムがあり、台紙にくりぬかれた円形のくぼみに1円玉、5円玉、50円玉、100円玉が発行年代別に整理されていた。ただ昭和33年に作られた10円玉は縁にギザギザがついている上、発行枚数が少なかったということで美品がなかなか見つからなかった。それを聞いていたので、当時の僕はいつも小銭入れの10円玉に掘り込まれた発行年銘ばかり気にしていたものだ。

だが、父がそうやってコインを熱心に集めていたのは一時期だけで、すぐにバインダータイプの収納アルバムは家から消えてしまった。はたしてあれほど集めていたコインはどこへ行ってしまったのか、今も謎のままである。売りさばくほどの価値があるものでもないから、そのままバラして使ってしまったのかもしれない。コレクションに飽きて金目の蒐集物を放出してしまったというのはよく聞く話だ。

話は戻るが、昨年分のミントセットだっていつ解体されるかわかったものではない。そうなれば一般向けには製造されなかった平成23年銘の１円玉、５円玉、50円玉が市中に出回る可能性がある。
子供の頃を思い出して、そんな希少価値の高いコインを探してみようかなと考えているところだ。



※　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　次回更新は3月1日の予定

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<modified>2012-02-23T22:49:57+09:00</modified>
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<title>コラム♯559　　　「　ホィットニー・ヒューストン　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
ホイットニー・ヒューストンの急死は突然の悲しい知らせだった。
死の翌日、エフエム石川の社内で何人かが「思わず涙をこぼした」とか「仕舞ってあったＣＤを引っ張り出してきて夜通し聴いていた」などと話していた。ただ世代によって感想は様々のようで若手のスタッフの中には「正直なところホイットニーと言われても過去の人という印象しかない」などと言ってのける人もいた。考えてみれば1985年にデビューした彼女が脚光を浴びていたのは1992年の「ボディガード」のサントラくらいまでだ。女王として君臨したのは10年にも満たないわけで、20代の人たちの反応が今ひとつなのもうなずける。

僕などはホィットニー･ヒューストンの洗礼をまともに受けた世代だ。それは単なる音楽作品を超えてひとつの時代だったと言って良い。芋づるに多くの実がぶら下がっているように1曲1曲から数々の出来事が甦ってくる。
たとえば「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」という曲だ。この作品は一時期、フジテレビの夕方の報道番組内の天気予報のＢＧＭに使われていたのが思い出深い。キャスターは逸見政孝さんと幸田シャーミンさんだった。洋楽曲をテレビ局がＢＧＭとして利用するのは今や当たり前だが、当時はまだまだ珍しくとても新鮮に映った。僕はその頃から本格的にアナウンスの勉強を始めていて、同じマスコミ志望の友人たちと「さすがフジテレビ・・先を行ってるな」などと生意気に言い合っていたものだ。タイアップという言葉を僕らはまだ知らなかった。

当然のことながらホイットニー・ヒューストンの作品はラジオでも盛んに流れた。
その頃のＦＭはバイリンガルブームの全盛期でちょっとバタ臭い曲紹介がもてはやされていた。テンションの高いＤＪによってホイットニー・ヒューストンの曲が大量にオンエアされ、そこに僕は時代の風を感じていた。そうした世の中の空気は後年、「バブル」と呼ばれるのであった。

さて、時代を象徴するようなヒーロー、ヒロインの急逝ほど寂しいものはない。ホイットニー・ヒューストンの訃報に接して、僕は「ああこれでまた1980年代が遠くなってしまったな」としみじみ感じた。
ちなみにエフエム石川でホイットニー・ヒューストンの早すぎる死を惜しんでいたら、かつて英語のタイトルコールなどを得意とした女性ナレーターの方がやってきた。
彼女は挨拶も早々に「ウィットニー悲しいことになったわね」などと切り出したのだが、「ホイットニー」ではない「ウィットニー」という発音に僕はスーパーディーバが光り輝いていた懐かしい時代をちょっと思い出していたのだった。


※　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　次回更新は2月23日の予定
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<modified>2012-02-16T19:22:03+09:00</modified>
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<title>コラム♯558　　　「　2月14日と錦華鳥　」</title>
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<summary type="text/html"><![CDATA[
ペットというと今はイヌとネコが代表例だが、その昔は小鳥が王様だった。
少なくとも僕が暮らしていた田舎の町ではイヌといっても血統書つきはせいぜいスピッツか猟犬で、ネコにいたっては野良ばかりでたまに金持ちがペルシャを飼っていると噂に聞くくらいだった。それに比べると鳥類は多彩で、カナリヤ、セキセイインコ、文鳥、ジュウシマツ、しゃべる鳥なら九官鳥にオウムと、ちまたには鳥を飼っている家がたくさんあり、巣引き(鳥の繁殖)も盛んに行われていた。

そしてそんなブームにのって僕も小学生の頃、父親にせがんで小鳥を買ってもらった。当時、オウムが登場して人間のようにペラペラしゃべる漫画があり、本当はそんな大きくて人の言葉を話す鳥が欲しかったのだが、彼らはひじょうに高価でさすがに手が出ない。
けっきょく父が求めてきたのはシロキンカチョウという手のひらの半分くらいしかない小さな鳥だった。体は雪のように白くクチバシだけが淡紅色で良いアクセントになっていた。父は「カナリヤにしようと思ったが、カナリヤはヘビの餌食になりやすいのでやめておいた」などとうそぶいたが、ヘビがカナリヤを好むという話は聞いたことがない。たぶん金額的にキンカチョウが手頃だったのだろう。

まぁ、そんな値段の話はさておき、我が家にやってきたそのシロキンカチョウは2羽の番(つがい)であった。僕が注目したのは2月14日の2羽の様子である。

今はバレンタインデーというと、単に女性が男性にチョコレートを贈るだけの日になってしまったが、かつては小鳥がカップルとなり愛のさえずりを交わす日だとされていた。最近はあまり出ない説だが、なんでもヨーロッパでは古くからそのように伝わっていたらしい。僕自身はその話を子供雑誌の中の記事で知った。

実際、我が家のシロキンカチョウは2月14日ともなると本当に仲むつまじく過ごしているように見えた。たぶん寒いので身を寄せ合っていただけのだろうが、そのときはバレンタインデーってすごいなと感じた。記憶はあいまいだが、当時はそうやってバレンタインデーに飼っている小鳥を巣引きさせようと試みる家庭は多かったように思う。
今の時代、バレンタインデーに小鳥同士が結ばれるという言い伝えが煙のように消えてしまったのは小鳥を飼育している家庭が減ったことが一番の理由だろう。加えて今、都会ではカラスやハトによるフン害が深刻でなかなか鳥に愛のさえずりというイメージを描きにくいという事情もある。

とはいえ動物園やペットショップなどはこんなロマンチックな話をもう少しＰＲしてもいいのではないだろうか。寒さが続く中で春の到来を予感させるグッドニュースだ。
ちなみにキンカチョウという小鳥は今でもペットショップで売られている。漢字で「錦華鳥」と表記するのだということを後年知った。明るくうきうきとしたバレンタインデーの雰囲気と実に重なる。もしかするとあの2羽は本当に2月14日という一日を心得ていたのかもしれない。



※　コラムは毎週木曜日の更新です。
　　次回更新は2月16日の予定
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