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2013年10月27日

"ドーバの悲劇"から20年

ドーバの悲劇 Jリーグが開幕したあの年の秋に起こった悲しい出来事。
日本中が涙した1993年の10月28日の”ドーバの悲劇”から、明日で20年が経ちます。

振り返ってみると、今の不甲斐ない日本代表に足りないものが見えてきます。

20年前に戻ってみましょう。

ハンス・オフト監督が率いる「日本代表」は、1994年の「ワールドカップ」アメリカ大会のアジア地区最終予選を戦っていました。

あの時代の最終予選は、現在のホームアンドアウェー方式ではなく、中立地区での集中開催というセントラル方式でした。

最終予選に残ったのは、サウジアラビア、韓国、イラク、イラン、北朝鮮、日本の6ヶ国。当時の世界ランクでは、日本より下位のチームは北朝鮮だけでした。

6ヶ国総当たりで5試合を戦い、勝ち点の上位2チームが本戦への出場権を獲得します。
当時の勝ち点は勝利2、引き分け1、敗戦0。勝ち点が同じ場合、得失点差、総得点、当該国間の対戦結果の順で順位が決まります。

最終戦前の4試合終了時での成績は、下記のとおり。
1位 日本 2勝1敗1引き分けの勝ち点5。得失点差は+3で、総得点は5。
2位 サウジアラビア 1勝0敗3引き分けの勝ち点5.得失点差は+1で総得点は4。
3位 韓国 1勝1敗2引き分けの勝ち点4。得失点差は+2で総得点は6。
4位 イラク 1勝1敗2引き分けの勝ち点4。得失点差は0で総得点は7。
5位 イラン 2勝2敗の勝ち点4。得失点差-2で総得点は5。
6位 北朝鮮 1勝3敗の勝ち点2。得失点差-4で総得点は5。

そして、残す最終戦の組合せは、以下のとおり。
日本 − イラク
サウジアラビア − イラン
韓国 − 北朝鮮

首位の「日本」は、最終戦を勝てば、他チームの結果には関係なく、「ワールドカップ」の出場権が獲得できますが、引き分けだった場合は、サウジアラビア、イラン、韓国の3か国のうち2か国を成績で上回る必要があるという状況で、「イラク」との最終戦を迎えました。

試合は日本がカズとゴン中山のゴールで2対1とリードしたまま、ロスタイムに入り、そのまま試合が終了すれば、出場権獲得というところで、イラクがコーナーキックを得ます。

ここでキッカーのライト・フセインは意表を突くショートコーナーで、フセイン・カディムにボールを渡し、慌てて対応に走ったカズを振り切り、緩やかなセンタリング。
オムラム・サルランがヘディングしたボールは、GK松永の頭上をスローモーションのように放物線を描いて越えて、ゴールに吸い込まれていったのでした。

イラクの同点ゴールが決まった瞬間、日本選手の多くが愕然としてその場に倒れ込み、日本ベンチの控え選手たちが頭を抱えて崩れ落ちたシーンは、その後のニュースで何度も何度も流れました。

同点。逆転されたのではなく、単に同点に追いつかれただけだったのですが、それは負けに等しい引き分けを意味するものだったのです。

それは、数分早く試合が終わっていた他の会場で、サウジアラビアがイランに4対3で勝ち、韓国が北朝鮮に3対0で勝っていたからでした。

サウジアラビアは勝ったので、出場権獲得が決定。
韓国は勝ったことで、日本が引き分けだ場合に勝ち点で並ぶことになり、かつ、3対0で勝ったため、得失点差は+2から+5となり、日本が引き分けた場合は、日本の得失点差+3を上回ることになっていたからです。

同点にされた後、日本はキックオフからすぐ前線へロングパスを出しましたが、ボールがそのままタッチラインを割ったところで、主審のセルジュ・ムーメンターラーが笛を吹き、試合終了、2対2の引き分けとなったのです。

結果として、勝ち点を7とした「サウジアラビア」と、日本と同じ勝ち点6も、得失点差で上回った「韓国」の2チームが、「ワールドカップ」アメリカ大会に出場したのでした。

「日本」が引き分けだったとしても、「サウジアラビア」が負けていれば違っていたし、「韓国」が北朝鮮に勝ったスコアーが3対0でなく、1対0だったら、得失点差でも総得点でも並び、当該国間の対戦結果で日本は韓国にカズのゴールで1対0で勝っていたので、出場権は「日本」だったので、本当に紙一重の戦いだったのです。

それがロスタイムに起きてしまったので、"ドーバの悲劇"と呼ばれるようになったのです。

故障して欠場したサイドバックの「都並敏史」が出場できていたらとか、オフトがレギュラーを固定してバックアップメンバーの育成を怠っていなかったらとか、試合中に劣勢を挽回するために「ラモス」がベンチに向かって中盤の「北澤」をリクエストしていた時に、オフトが交代枠を中盤ではない前線の「福田」、「武田」に使わず、「北澤」を使っていたらとか、いろいろ言われましたが、実際、あの時、「ワールドカップ」に出場したとしても、勝つことはできなかったでしょう。

でも、本当に”夢”に手が届くところまで来ていたと思えた感じで、ほんとうに残念に思えたのを覚えています。

今思えば、あのイラク戦は、日本代表の以降の”ロスタイム”の戦い方に一石を投じました。

そして、”ドーバの悲劇”を戦った日本代表には、今の不甲斐ない日本代表に足りないものがあったのが分かります。

それは、”執念”です。

今の日本代表に必要なのは、そんな”熱い思い”ではないでしょうか?

個々のレベルはあの当時より数段上になっているのは間違いありません。

ちなみに、あの当時のメンバーには、DFにはキャプテンの「柱谷」と「井原」。MFには「ラモス」。そしてFWには「カズ」と「中山」がいました。

それぞれの個性は強く、当時はそれがサポーターにも伝わっていました。今はあまり伝わってきていないようです。そこが問題です。

キャプテンの長谷部も、年上の駒田や遠藤も、大人し過ぎます。

誰か、「ワールドカップ」までに何とかお願いします。それでは。

<日本サッカー協会 沿革・歴史>
http://www.jfa.or.jp/jfa/history/

投稿者:森ちゃまat 23:59| お知らせ | コメント(0) | トラックバック(3)

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