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2006 年08 月10 日

え、そうなの?

「しようね」・・・という言葉をかけた水は「美しい結晶になる」けど「しなさい」・・・という言葉をかけた水は「結晶にならなかった」んだそうです。

/「水は答えを知っている」江本勝著より


そーなんだぁ…水の結晶の話は以前、「浩二の日記帳」でカキコしたことがありますが、微妙な違いだと思っても、命令口調ってダメなんだなぁ…。

番組本番中でも汚い言葉連発のオイラとしてはかなーり反省…?

でもね、キャタマチを寝床にしてる超不良(チョーワル)コージのキャラとしては仕方ないのよね。オイラが毎日真面目に家に帰って、手料理でもつくってたりしたら、(良い事なんだけど)イメージダウンでしょ?

だからこそ、亀田選手の気持ちはよく解る。あそこまでの悪キャラに徹して挑むからには決して負けるわけにはいかないし、「亀田興毅」という理想のファイターになりきって、自分自身が逃れることが出来ないように追いつめる。

格好良さとダサさギリギリの、あのサングラス、汚いトーク、過激なパフォーマンスは単なる自己奮起の演出であり、実際にはちょっと気の弱い、優しい男なんじゃないかと思うよ。逆に気が弱いからこそ、あそこまでの過剰な演出が必要なんだよね。

ちなみにオイラも気が強そうに見えるらしいけど、実際にはステージのDJブースに立って1000人以上の踊ってる人を見下ろすと、かなーり、ビビります!毎回ヒョエーッてチビリそうになっちゃうよね、関係ないけど…。

で、亀田選手に関してはこんな記事を発見。

http://topics.sports.livedoor.com/article/detail-3645404.html

要するにデーブ・スペクター曰く「日本人は苦労する姿を見るのが大好き。『あしたのジョー』といったスポ根アニメも人気があった。『苦は楽のため』と言う日本人とは逆に、米国人は最初から楽な方がいいという考えだ。また日本人はプライベートをのぞき見るのも大好きで、お宅拝見なんてほかの国ではない。これはすべて仏教から由来している。気が緩んだ状態で座禅を組んでいると後ろからたたかれる。日本では師匠や上下関係が重視され、スパルタ教育の中で生き抜くことがいいとされる。米映画『ロッキー』もスポ根ではあるけれど、練習は孤独。他人が入ってくることはない」

「また、バッシングは、テレビ局の過剰演出による反発で、瞬間最高視聴率も50%以上だし、格闘技をこれだけ見るのは日本人だけ。アメリカではアリやタイソン全盛時代も興味のない人にまで興味を持たせようとはしていないが、日本は試合を放送するだけというわけにはいかなくなっている。深入りして演出にまで凝って、視聴者の感動を呼ぼう、感情を操ろうとした。その分だけ反発が大きくなった」ということなんですよね。

これはちょっと鋭い分析です!今夜の酒の肴になるのかな?(ね、コーヒー◯ートの村◯さん)

投稿者:DJ Kojiat 14 :43| 日記