2013年03月30日
第4次「フォーク・クルセダーズ」誕生
1967年、アマチュアとして活動していた「ザ・フォーク・クルセイダーズ」は、解散を記念して自主制作盤アルバム「ハレンチ」を作成、同年10月の第1回フォークキャンプコンサートに出演した後、予定通り、解散してしまいます。
しかし、同アルバムに収録されていた楽曲が、その後ラジオで取り上げられるようになり、同年、当時の東芝音楽工業から「帰って来たヨッパライ / ソーラン節」でプロデビューすることになります。プロデビューした時メンバーは、「加藤和彦」と「北山修」と「はしだのりひこ」の3人でした。
デビュー曲「帰って来たヨッパライ 」は、1968年に開始されたオリコンで史上初のミリオンヒットになり、当時の日本のバンドによるシングル売り上げ1位を記録。
さらに同年、「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などの曲を含むアルバム「紀元弐阡年」を発売したものの、同年10月に"さよならコンサート"を開催し、たった1年間で活動に終止符を打ってしまいます。
メンバーの加藤和彦は1969年にソロに転向するも、1971年4月にはメンバーだった北山修とコンビを組みシングル「あの素晴しい愛をもう一度」を発売したあと、1971年11月には「サディスティック・ミカ・バンド」を結成します。
北山修は、作詞家として活躍しながらも、ロンドン大学院進学を機に活動は休止します。
はしだのりひこは、「はしだのりひことシューベルツ」、「はしだのりひことクライマックス」、「はしだのりひことエンドレス」などを結成、解散を繰り返し、最後はソロとなります。
そして2002年、加藤和彦と北山修は、THE ALFEEの坂崎幸之助を迎えて、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を新結成します。同年11月17日に、NHKホールで一度きりのコンサート『新結成記念解散音楽會』を開催。アルバム1枚とシングル1枚を発表しますが、新結成は当初より期間限定であったため、同年12月31日には解散してしまいます。
また、2006年9月10日には、埼玉県狭山市の狭山稲荷山公園内にて開催された『HYDEPARK MUSIC FESTIVAL 2006』に、「ポーク・クルセダーズ」名義で一夜限りで復活し、再結成コンサートが行われました。
その後、2009年10月16日に加藤和彦が62歳で死去したものの、2013年の今年、3月30日、北山修とALFEEの坂崎幸之助が再々結成し、加藤さんの遺作音源を集めて制作した新曲「若い加藤和彦のように」のほか、カバー曲を収録したNEW ALBUM「若い加藤和彦のように」が発売されました。
名曲「イムジン河」の日本語&仏語の新バージョン、「悲しくてやりきれない」などのセルフカバーから、未発売であった「手と手 手と手」、加藤和彦の遺作となったデモテープを基に新たにつくられたタイトル曲まで、時空を超えた聴き所満載の全14曲となっています。
ちなみに、このアルバムが発売されたのは、EMIミュージック・ジャパンなのですが、このEMIミュージック・ジャパンは、昨年10月1日にユニバーサルミュージック合同会社(UM)のグループ会社となっていたのですが、4月1日には吸収合併されることに決まっているため、EMIミュージックとしての最後の作品がこのアルバムとなったようです。
1955年に東芝の音楽部門として設立、1960年に東芝音楽工業として独立。その後1973年に英EMIの資本参加により、東芝EMIと改称、2007年に東芝が株式を手放し、社名がEMIミュージックとなっていったレコード会社ですが、自分たちの年代には「東芝EMI」としてとても馴染みがあったレーベルです。
邦楽では坂本九、越路吹雪、松任谷由実、オフコース、薬師丸ひろ子、BOOWY(ボウイ)、宇多田ヒカル、椎名林檎らの人気歌手を生み出し、洋楽ではザ・ビートルズ、ピンク・フロイド、デヴィッド・ボウイらを手掛けてきたレコード会社です。
EMIミュージックの邦楽制作部門は、合併後もUM傘下のレーベル「EMI Records Japan」として、引き続き邦楽の制作/宣伝/マーケティング活動を継続するとのことですが、とても切ないニュースです。
名門レコード会社が静かにその看板を下ろします。それでは。
しかし、同アルバムに収録されていた楽曲が、その後ラジオで取り上げられるようになり、同年、当時の東芝音楽工業から「帰って来たヨッパライ / ソーラン節」でプロデビューすることになります。プロデビューした時メンバーは、「加藤和彦」と「北山修」と「はしだのりひこ」の3人でした。
デビュー曲「帰って来たヨッパライ 」は、1968年に開始されたオリコンで史上初のミリオンヒットになり、当時の日本のバンドによるシングル売り上げ1位を記録。
さらに同年、「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などの曲を含むアルバム「紀元弐阡年」を発売したものの、同年10月に"さよならコンサート"を開催し、たった1年間で活動に終止符を打ってしまいます。
メンバーの加藤和彦は1969年にソロに転向するも、1971年4月にはメンバーだった北山修とコンビを組みシングル「あの素晴しい愛をもう一度」を発売したあと、1971年11月には「サディスティック・ミカ・バンド」を結成します。
北山修は、作詞家として活躍しながらも、ロンドン大学院進学を機に活動は休止します。
はしだのりひこは、「はしだのりひことシューベルツ」、「はしだのりひことクライマックス」、「はしだのりひことエンドレス」などを結成、解散を繰り返し、最後はソロとなります。
そして2002年、加藤和彦と北山修は、THE ALFEEの坂崎幸之助を迎えて、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を新結成します。同年11月17日に、NHKホールで一度きりのコンサート『新結成記念解散音楽會』を開催。アルバム1枚とシングル1枚を発表しますが、新結成は当初より期間限定であったため、同年12月31日には解散してしまいます。
また、2006年9月10日には、埼玉県狭山市の狭山稲荷山公園内にて開催された『HYDEPARK MUSIC FESTIVAL 2006』に、「ポーク・クルセダーズ」名義で一夜限りで復活し、再結成コンサートが行われました。
その後、2009年10月16日に加藤和彦が62歳で死去したものの、2013年の今年、3月30日、北山修とALFEEの坂崎幸之助が再々結成し、加藤さんの遺作音源を集めて制作した新曲「若い加藤和彦のように」のほか、カバー曲を収録したNEW ALBUM「若い加藤和彦のように」が発売されました。
名曲「イムジン河」の日本語&仏語の新バージョン、「悲しくてやりきれない」などのセルフカバーから、未発売であった「手と手 手と手」、加藤和彦の遺作となったデモテープを基に新たにつくられたタイトル曲まで、時空を超えた聴き所満載の全14曲となっています。
ちなみに、このアルバムが発売されたのは、EMIミュージック・ジャパンなのですが、このEMIミュージック・ジャパンは、昨年10月1日にユニバーサルミュージック合同会社(UM)のグループ会社となっていたのですが、4月1日には吸収合併されることに決まっているため、EMIミュージックとしての最後の作品がこのアルバムとなったようです。
1955年に東芝の音楽部門として設立、1960年に東芝音楽工業として独立。その後1973年に英EMIの資本参加により、東芝EMIと改称、2007年に東芝が株式を手放し、社名がEMIミュージックとなっていったレコード会社ですが、自分たちの年代には「東芝EMI」としてとても馴染みがあったレーベルです。
邦楽では坂本九、越路吹雪、松任谷由実、オフコース、薬師丸ひろ子、BOOWY(ボウイ)、宇多田ヒカル、椎名林檎らの人気歌手を生み出し、洋楽ではザ・ビートルズ、ピンク・フロイド、デヴィッド・ボウイらを手掛けてきたレコード会社です。
EMIミュージックの邦楽制作部門は、合併後もUM傘下のレーベル「EMI Records Japan」として、引き続き邦楽の制作/宣伝/マーケティング活動を継続するとのことですが、とても切ないニュースです。
名門レコード会社が静かにその看板を下ろします。それでは。
投稿者:森ちゃまat 23:59| お知らせ | コメント(0) | トラックバック(0)