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2011年05月16日

山吹伝説

ふぃらーじゅデイケアはご利用者様、職員のおうちのお花でいっぱいです。ありがたいことです。
花はいつも心をなごませてくれ、文字通り会話に花が咲きます。

この時期、毎年山吹を生けると皆さまからある短歌が回想されます。「七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)ひとつだに なきぞ哀しき」詠み人は兼明親王(かねあきらしんのう)という平安時代の皇族です。
デイケアのご利用の人生の先達の皆さまは太田道灌の「山吹伝説」として昔から親しんで口にされたようです。その「実の」と「蓑」をかけたというお話しを紹介させていただきます。

●太田道灌の山吹伝説 ※太田道灌:江戸城を築城した武将
太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけ俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。
道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。
その夜、道灌がこのことを語ると近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に後醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに『七重八重 花は咲けども山吹の (実)みのひとつだに なきぞかなしき』というという歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」と言いました。驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。


先日、ご利用者のO様が山吹の実を持って来てくださいました。80年以上生きてこられた先達も、山吹の実は見始めのようでした。

投稿者:葉っぱat 11:18| 通所リハビリ | コメント(0) | トラックバック(0)

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