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2010年1月30日

憂国技の志士

朝青龍事件は本人が低レベルであると同時に、相撲協会がその方向性を誤った結果だと思います。相撲は単なるスポーツではありません。国技と認められていることは日本人なら誰でも知っていることです。国技とはその国固有の伝統や文化に根ざした競技、武術のことを指します。人気のあるなしや、競技人口の大小ではありません。相撲が法的に国技である訳ではありませんが、国花や国鳥のようにその国の国民が古くから親しんできた、国の歴史が感じられるものであることは確かです。また相撲協会は文部科学大臣の所管に属する公益法人であり、その存在意義は特別です。国の伝統や歴史を守るのは、その国の国民であるべきで、外国人に託すべきではありません。中でも横綱は降格することのない特別職であり、名誉職といってもいい。体力的に勝っていればそれでいいという考えは明らかに誤りです。プロ競技であり、勝敗には金銭が絡みます。金目当てに屈強な外国人が入ってくれば、体格的に劣る日本人に勝ち目はありません。強ければ横綱になっていいのでしょうか。いまのように、横綱が二人とも外国人である状態が正常な状態と言えるでしょうか。朝青龍には相撲が日本人にとってどういう存在かということが全く理解されていないようです。外国人には単なるプロスポーツの一つであり、プロレスと何ら変わるところがないのでしょう。古くは力士は帯刀を許されたものもあり、武士と同等の扱いをされた存在でした。すなわち、武士道にも通じていたのでしょう。正々堂々、勝っておごらず、相手を敬い、謙虚であり、潔い、そういう存在であるべきです。かつては勝ってガッツポーズしただけで処罰されました。それが、文化を守るということだと思います。
柔道はオリンピック競技になるために、日本人の心をなくしました。本来、柔よく剛を制す、小が大を倒すための技を競う武道であったはずが、無差別級もなくなり、ポイント制になって、腰の引けた外国人が勝ち上がっていくだけのスポーツになってしまいました。
相撲が髷を結って、まわしを巻くスタイルを続けている以上、グローバルスポーツを目指す必要は全くありません。文化と伝統を守って、国民に親しまれる存在であればそれでいいのです。外国人を入れる必要はなく、入れるべきではありません。
私は右翼でも国粋主義でもありませんが、外国人を横綱にすることは反対です。
外国人が横綱である相撲にはなんの興味も沸きません。

投稿者:acchanat 22:56 | 日記 | コメント(0)

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