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2012年04月09日

緑のカプセルの謎

不可能犯罪の巨匠ディクスン・カーの『緑のカプセルの謎』を読みました。不可能犯罪というより、心理トリックを扱った探偵小説です。
2011年10月15日、第39回例会で合評し、参加者は8名でした。

◆合評「緑のカプセルの謎」(ディクスン・カー)(文責H)
今回は、1930年代のカー作品を選択して、皆さんに読んでいただくことにしましたが、読後の感想はいろいろ伺うことができて、担当者としてもうれしかったです。
さて、読み合わせの対象は、ディクスン・カーの「緑のカプセルの謎」です。
みなさんカーの長編を読む機会は少ないという事で、それぞれの理由を挙げていらっしゃいました。まずは、「長いし、事件が一つなので、チョウめんどい」というご意見や、「外人の名前ばかりが出てくるので、すじが分からなくなっちゃうんじゃないかな」というご意見。このあたりが今風でないところで、昨今のミステリー界の共通の「翻訳ものは受けない」世評を映し出していると思われました。
しかし、今回の皆さんからは、外人の名前系のマイナス意見は、「初めはそうだったけど・・・」という但し書き付きでした。登場人物が多くないことや、話の筋が素直な流れで、あちらこちら飛んだり戻ったりという流れになっていなかったので読みやすかった、というご意見に集約されましたので、担当者としては一安心といったところでした。
作品についての感想は、「時代を感じることはなく、よくまとまっている」や、「謎が提示されて、それを解いていく形になっている」といった、カー作品をお褒めいただくコメントが多かったので、これまた安堵するところでした。
また、本作は、カーの代名詞でもある「密室殺人」ではなく、
どちらかといえば地味な仕上がりの「心理トリック」ものでしたので、そのあたりが皆さんにどう受け止められるか、というところが気になっていましたが、おおむねそういう点のご指摘はなく、これまた無事通過という感じ。安どのため息が続きます。
会合は、ディクスン・カーのその他の作品を読んだ人の意見を募るところになり、皆さんからいろいろなご意見が出てきました。
「カーは、いろいろな知識を埋め込んでいくので、長編は長い感じを受ける。だから短編の方が好きだな〜。」
「この本にも出てくるけれど、途中で知識の披露(密室の講義だったり、ここでは毒殺の講義だったり)があるので、カーという人は知識が深いんだね。」
「クイーンは、謎ときに集中していくけれど、カーは、もっと読み物的な文章も加えてるよね。」
「作中の人物では、ハウスキーパー的な存在の人たちに対しては、やけにあっさりとしか触れていない。もう少し描写があってもいいんじゃないの。」
などなど。皆さん幅の広い視点からのご指摘です。特に最後に挙げましたコメントは、若い年齢のメンバーからで、やはり時代の違いがあるのでは、という感慨を受けた次第です。よく、黄金時代ミステリー(クィーンやクリスティの活躍していたころを、こういう表現でまとめることが多くあるので)は、今の作品から比べると、確かに職業的な身分蔑視の傾向があるようで、おおむね「家の家政婦や調理人、ホテルの従業員などは目に触れない存在」というひとまとめの対象にしていることが多いようです。よって、有名なミステリー定義の中にも表れる、「女中たちは犯人になりえない」といった定義内容の必然になっていたのでしょう。ハウスキーパーなどの雇い人の意見など、警察も探偵も気にもしないんだ、といった具合ですね。こういう懐かしい知識の披露も、30年代作品を読んでいく場合なればこそ、と思った次第です。今ではテレビドラマでも「家政婦は見た」という視点が作品テーマになっている時代ですからね。

投稿者:keita2at 18:01| その他 | コメント(0) | トラックバック(0)

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