2012年04月19日
東野圭吾と金沢の「茶房放課後」
東野圭吾のデビュー作で乱歩賞受賞作の『放課後』は、金沢と深い関係があります。
『たぶん最後の御挨拶』のp30に
「小説のタイトルは『放課後』に決まっていた。旅行で金沢へ行った時、駅の近くにそういう名前の喫茶店があったのだ」と書かれています。
昭和50年代の職業別電話帳で調べて「茶房放課後」が此花町にあるということがわかり、地図を調べました。
昭和50年はゲームセンターでしたが、51年には「茶房放課後」となっています。なお60年には工事中になりますが、ここに「放課後」は移動しています。61年の地図まで同じ場所にありましたが、62年の地図になると駐車場になっています。
『放課後』は1985年、昭和60年の作品で、1984年以前に見たということは、きっと東野圭吾は「茶房放課後」を見たのだと思います。
現在この場所には、ライブワンがあります。その「さかもと」という書店に位置に昔「茶房放課後」がありました。
東野圭吾は金沢と何か因縁があるのか、加賀恭一郎は、自己紹介で『加賀100万石の加賀です』と言います。
詳細地図はこちら
『たぶん最後の御挨拶』のp30に
「小説のタイトルは『放課後』に決まっていた。旅行で金沢へ行った時、駅の近くにそういう名前の喫茶店があったのだ」と書かれています。
昭和50年代の職業別電話帳で調べて「茶房放課後」が此花町にあるということがわかり、地図を調べました。
昭和50年はゲームセンターでしたが、51年には「茶房放課後」となっています。なお60年には工事中になりますが、ここに「放課後」は移動しています。61年の地図まで同じ場所にありましたが、62年の地図になると駐車場になっています。
『放課後』は1985年、昭和60年の作品で、1984年以前に見たということは、きっと東野圭吾は「茶房放課後」を見たのだと思います。
現在この場所には、ライブワンがあります。その「さかもと」という書店に位置に昔「茶房放課後」がありました。
東野圭吾は金沢と何か因縁があるのか、加賀恭一郎は、自己紹介で『加賀100万石の加賀です』と言います。
詳細地図はこちら
投稿者:keita2at 06:25| お知らせ | コメント(3) | トラックバック(0)
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ネットで検索して辿り着きました。
ケンと申します。
1984年7月に金沢へ行った時に、茶房 放課後(店舗不明)へ行きました。
ただ、上野行きの夜行列車を待ったので、金沢駅に近かったと思います、
その時、カメラが壊れていたので、写真はありませんが、
マッチを持って帰りました。
https://twitter.com/pockwXXssN9dPZv/status/1698946563006169393
なお、メニューの裏に素晴らしいポエムがあり感動した事を覚えています。
以上、参考になればかと思い書き込みました。
投稿者:ケン: at 2023/09/06 00:03
ネットで検索して辿り着きました。
ケンと申します。
1984年7月に金沢へ行った時に、茶房 放課後(店舗不明)へ行きました。
ただ、上野行きの夜行列車を待ったので、金沢駅に近かったと思います、
その時、カメラが壊れていたので、写真はありませんが、
マッチを持って帰りました。
https://twitter.com/pockwXXssN9dPZv/status/1698946563006169393
なお、メニューの裏に素晴らしいポエムがあり感動した事を覚えています。
以上、参考になればかと思い書き込みました。
投稿者:ケン: at 2023/09/06 00:09
ケンさん
ありがとうございました。
貴重なマッチですね。
東野圭吾さんファンには聖地!
のはずです。
東野さんがなぜ金沢に来ていたのか、
解けることのない謎です。
実に面白い。
投稿者:KU: at 2023/11/14 07:20