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2018年10月12日

脳神経内科 (2)読売新聞 2018.10.3




続き 京都大学脳神経内科 高橋良輔教授 脳神経内科と標榜することは実態に合っている。脳卒中などの病気を、脳神経外科とともに内科的に診るという意味でも、脳神経内科という名前は分かりやすいのではないか。課題もある。日本脳卒中学会の脳卒中専門医は、外科系に比べて内科系の医師が少なく、神経内科医は全体の4分の1に過ぎない。脳卒中治療では、内科的治療は外科的治療に劣らず重要だ。脳神経内科の脳卒中専門医の数をもっと増やす必要がある。日本神経学会は9月から、会員向けに脳卒中の教育研修会を開く取り組みを始めた。そもそも日本脳神経外科学会の専門医は7000人余り、日本神経学会の神経内科専門医は6000人弱と、増大する神経疾患の医療ニーズに対応しきれていない。神経内科は我が国では比較的新しい分野であるため、神経内科が独立していない医学部も依然ある。脳神経内科医そのものをふやすとともに、質の向上を図らねばならない。高齢化の進展によって認知症や脳卒中診療の重要性は高まるばかりだ。脳神経内科医とは何かを国民によく知っていただき、その役割を果たしていく必要がある。

投稿者:KUSUat 17:28 | 日記

2018年10月9日

脳神経内科 (1)読売新聞2018.10.3

実態に即した「脳神経内科」へ 京都大学 脳神経内科 高橋良輔教授 日本神経学会は昨年、「神経内科」という診療科名を「脳神経内科」に改めることを決め、全国の医療機関に速やかな変更を呼びかけている。たった1文字の違いと思われるかもしれないが、変更を決めた経緯と込めた思いを説明したい。神経内科は、脳卒中や認知症、てんかん、頭痛、パーキンソン病など、脳や神経に関する病気を診る診療科だ。日本で最初の神経内科は、1964年に九州大学で生まれた。国の標榜科として認められたのは75年のことであり、比較的新しい分野と言える。日本神経学会という名前の通り、学問的には「神経学(ニューロロジー)」だ。なので診療科名も「神経科」であるべきだったろう。ところが、我が国には戦前からの長い歴史を持つ日本精神神経学会があるという事情があった。学会内で徐々に神経科の活動が縮小し、現在は精神科の学会になっているが、精神神経という名前は変わらず使われている。そこで、我々は神経内科を名乗ることになったが、神経衰弱という病名があるように、精神的な病気をみる診療科ではとの誤解は拭えないでいた。さらに複雑なのは、心療内科が近年普及してきたことだ。心療内科はストレスから来る体の不調を診る診療科であり、神経内科とは全く別物だが、患者さんにとっては似たような診療科名が増えて余計にややこしいことには違いない。続く
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投稿者:KUSUat 16:31 | お知らせ

2018年10月1日

燕岳でのストック使用




燕岳は長野県の山で穂高町中房温泉が登山口である。今回は知人K氏と一緒に登ることになった。小松を朝5時に車で出発し9時に大糸線穂高駅近くの無料駐車場に車をとめた。バスの本数が少ないため、タクシーで40分の標高1500メートルの中房温泉に向かった。当日はしばらく続いた雨もあがり好天となった。10時、日本三大急登の一つである登山路を先ず合戦小屋を目指して登り始めた。転倒防止にトレッキングストックを使っている。急なため階段が頻繁に現れる。第1ベンチ、第2ベンチと経過し午後1時に合戦小屋に到着した。小屋には麓からケーブルがあり荷物が上げられてくる。名物は西瓜なのだが時期が少しづれて販売終了となっていた。小屋で天ぷらうどんを昼食にとった。標高は2350メートルである。ここから燕山荘へは尾根道(合戦尾根)となり午後2時20分に到着した。小屋に入り一休みした後、2763メートルの燕岳を往復した。風化した花崗岩の砂礫の丘にモンスターとよばれる岩塊が立ち上がる他には見ることのない風景である。翌日は小屋から御来光を仰ぎ下山した。ストック使用で今回も下山時に起きやすい転倒は起こさなかった。登山前々日の血中CKは196、下山翌日のCKは938であった。CPKは(ー)尿検査ではタンパク1+比重1030であった。

投稿者:KUSUat 16:10 | 日記

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